ドグマ どぐま
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 δόγμα
dogma
よいと思われて決まったこと
dokein(〜のように見える・よいと思われる)+ -ma(〜された結果できたもの)
「ドグマ」は、もとは「決まったこと」です。悪い意味はありませんでした。会議で決議された事項を指す、むしろ事務的な語だったものが、いつのまにか「証拠なしに言い張る態度」の名前になりました。
もとの意味は「決議事項」
dokein は「〜のように見える」「よいと思われる」。そこから作った名詞が dogma で、直訳すると「よいと思われて決まったこと」です。古代ギリシアでは3通りに使われました。ある人の意見、学派が掲げる主張、そして公的な決議。3つめが、この語の芯です。
新約聖書に出てくる dogma は、ほとんどが「お上の決めごと」です。ルカによる福音書2章1節の、皇帝アウグストゥスから出た勅令。使徒言行録17章7節の、皇帝の勅令。そして使徒言行録16章4節では、エルサレムの使徒たちが会議で決めた事項がこの語で呼ばれています。皇帝の決定と教会の決定が、同じ語なのです。
だから語の芯にあるのは「合議で決まった」という手続きのほうです。カトリックでは今も、この語に狭い技術的な意味があります。神から啓示されたものとして教会が示し、信じるべきものとされた事項。教会が言うことなら何でもドグマ、という使い方はしません。この狭さを知らないと、日常語の「ドグマ」との落差がつかめません。
意味の変遷
- 古代ギリシア 一般語。「意見」「学派の主張」「公的な決議」の3通りに使われた
- 1世紀 新約聖書では主に「皇帝の勅令」。エルサレムの使徒たちの決定にも同じ語が使われる
- 4世紀以降 公会議で決議された事項を指す語として定着する
- 1600年ごろ 英語に dogma が入る。意味は「確立した意見・原則」で、まだ非難の色はない
- 18世紀初め 英語 dogmatic に「論拠を示さずに断定する」という語義が記録される
なぜ悪い意味になったのか
転落は二段階で起きています。第一段階は古代からある対立で、判断を保留する懐疑論者の側から見れば、決めてしまう側は「ドグマの人」でした。第二段階は近代です。17世紀のイングランドで、経験と観察を重んじる著述家たちが「経験によらずに断定する態度」を叩くとき、この語を使いました。カントが自分の批判以前の哲学を「独断のまどろみ」と呼んだのも、その延長にあります。
今の使われ方
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それは業界のドグマだ
疑われないまま共有されている思い込み
ズレ 原義に「疑わしい」という含みはありません。決議事項という中立語でした
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ドグマティックな人
自分の考えを押しつける人
ズレ 18世紀初めに記録された、比較的新しい語義。1600年ごろの dogmatic は「教義に関する」という意味だけでした
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教条主義
原則を機械的に当てはめる態度
ズレ dogmatism の訳語。ここでも「手続きを踏んで決まった」という中立の芯が消えています
よくある誤解
ドグマとは、根拠のない思い込みのことだ
語のもとの意味は「手続きを踏んで決まったこと」です。根拠がないどころか、決定の記録を指す語でした
皇帝の勅令も、使徒たちの会議の決定も、同じ dogma。決議には、いつ・誰が・どういう手続きで決めたかが必ず付いてきます。今の「ドグマ」は、この手続きの部分だけがきれいに抜け落ちた形です。抜け落ちたからこそ「誰も決めていないのに決まっていること」という響きが出ます。
まとめ
- 直訳は「よいと思われて決まったこと」。もとは公的な決議を指す中立語だった
- 新約聖書では皇帝の勅令にも、使徒たちの会議の決定にも同じ語が使われている
- 「独断的」という意味は18世紀初めから。決まったという手続きの部分が抜け落ちて、言い張る態度だけが残った