異端 いたん
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 αἵρεσις
hairesis
選び取ること
haireomai(自分のために取る・選ぶ)+ -sis(〜すること)。そこから「選び取られた立場」=学派・党派へ
「異端」の原語 hairesis は、「選び取ること」です。もとは学派や党派を指す中立語でした。問題にされたのは教えの中身より先に、「自分で選んだ」という行為のほうだったのです。
「選ぶ」ことが、なぜ問題なのか
hairesis は、動詞 haireomai(自分のために取る・選ぶ)から作った名詞です。「選び取ること」、そこから「選び取られた立場」、つまり学派・党派。古代の医学では、学説の異なる集団をこの語で呼びました。ドグマ派・経験派・方法派など、いくつかの学派があったとされます。ここでの hairesis に、非難の意味はまったくありません。
新約聖書での使われ方も、はじめは中立です。使徒言行録は、サドカイ派(5章17節)やファリサイ派(15章5節、26章5節)をこの語で呼びます。そして初期のキリスト教徒自身も、外からこの語で呼ばれました。24章5節では「ナザレ人の分派」、28章22節では「この分派」。異端と訳される語で、キリスト教が呼ばれていたわけです。
ところが同じ新約聖書のなかに、非難の色が付いた用例も並んでいます。ガラテヤの信徒への手紙5章20節では、悪い行いを並べた一覧に「党派心」として入っている。コリントの信徒への手紙一の11章19節、ペトロの手紙二の2章1節も同じ系統です。中立語から非難語への移行は、すでに1世紀のうちに始まっていた、と読めます。
では、なぜ「選ぶ」が悪いことになるのか。教えは受け取るもので、自分で組み立てるものではない、という前提を置いてみてください。そこから好みで一部を選び取る行為は、伝わってきた全体を勝手に切ることになります。この論法を組み立てたのが、2世紀末のリヨンの司教エイレナイオスです。180年ごろの著作は、ラテン語題『Adversus Haereses(異端反駁)』として知られています。
意味の変遷
- 古代ギリシア 一般語。「選び取ること」から「学派・党派」へ。医学の学派もこの語で呼ばれた
- 1世紀 新約聖書。ユダヤ教の諸派や初期キリスト教を指す中立の用法と、「党派心」という非難の用法が同居している
- 180年ごろ エイレナイオスの著作以降、「伝えられたものから勝手に選び取った教え」という技術的な意味が固まる
- 385年 トリーアで司教プリスキリアヌスらが処刑される。異端の嫌疑を受けて処刑された最初の例とされる(世俗の裁判での罪状は呪術だった)。当時のアンブロシウスやトゥールのマルティヌスは、この処刑に抗議している
- 1934年 ヴァルター・バウアーが、地域によっては「のちに異端とされた形」のほうが先に広まっていた、と論じる
正統が先にあったのか
長いあいだ、教会史では「まず正しい教えがあり、そこから逸れたものが異端として分かれた」と説明されてきました。この順序そのものを疑ったのがバウアーです。1934年の著作で、エジプトやシリアなどの地域では、のちに異端とされた形のほうが先に広まっていた、と論じました。だとすると正統は出発点ではなく、争いの結果ということになります。
今の使われ方と、そのズレ
今の使われ方
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経済学の異端派
主流から外れた学説の立場
ズレ 原義の「学派」にかなり近い使い方。ただし今は主流かどうかの位置関係を指し、選んだという行為は問われません
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業界の異端児
型にはまらない人。ほめ言葉として使うこともある
ズレ 日本語独自の転用。原語にも古代の用法にも、称賛の含みは一切ありませんでした
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その意見は社内では異端だ
少数派で、受け入れられにくい考え
ズレ 多数決の話になっています。「伝えられた全体を勝手に切った」という原義の芯は残っていません
よくある誤解
異端とは、間違った教えのことだ
この語がまず指したのは、教えの中身ではなく「自分で選び取った」という行為のほうです
hairesis の直訳は「選び取ること」。選ぶには、選ばれなかった残りが要ります。つまりこの語は、切り取られた側と、切られた全体の両方を同時に指しているのです。中身が正しいか間違っているかは、その次の話でした。だからこそ、何が全体なのかが決まっていない時期には、この語もうまく働きません。
まとめ
- 直訳は「選び取ること」。もとは学派・党派を指す中立語で、医学の学派もこう呼ばれた
- 新約聖書のなかで、中立の用法と非難の用法が同居している。初期キリスト教もこの語で呼ばれた側だった
- 「正統が先か、争いの結果か」は決着していない。1934年のバウアー以降、検証と反論が続いている