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メシア めしあ

日常語になった神学

原語

  • ヘブライ語 מָשִׁיחַ

    mashiach → messiah

    油を注がれた者

    動詞 mashach(油を塗る)から作った形。就任のときに頭へ油を注ぐ、その儀礼を受けた人を指す

  • 古典ギリシア語 Χριστός

    christos

    油を塗られた者

    chrio(油を塗る)から。ヘブライ語 mashiach をギリシア語に訳したもの。ラテン語 Christus を経て日本語の「キリスト」になる

メシアは、もともと超人を指す語ではありませんでした。王や大祭司が就任するときに頭へ油を注ぐ、その儀礼を受けた人のことです。「これから現れる救い主」という意味は、あとから加わりました。

もとは、就任式のことば

mashiach は、動詞 mashach(油を塗る)から作った語です。直訳は「油を注がれた者」。それだけです。能力が高いとも、神の子だとも、この語自体は言っていません。言っているのは「頭に油を注ぐ儀礼を受けた」という一点だけ。日本語でいえば「任命された人」に近い、事務的な語でした。

誰が注がれたのか。まず王です。サムエル記上10章1節で、サムエルは油の壺を取ってサウルの頭に注ぎます。もう一つが祭司。レビ記4章3節には「油注がれた祭司」という言い方が出てきます。王と祭司、どちらも職に就く人です。つまりこの語は、就任の場面で使う実務の語だったわけです。

決定的なのは、イザヤ書45章1節です。ここで「主が油を注いだ者」と呼ばれているのは、ペルシアの王キュロスでした。イスラエルの民でも、イスラエルの神を信じる人でもない外国の王です。それでもこの語で呼ばれる。もしメシアに「超人的な救い主」という意味が含まれていたら、こういう使い方はできません。

いつ「これから来る人」になったのか

では、待望の対象になったのはいつか。1906年の『ユダヤ百科事典』は、この語の最も古い用法は「今そこにいる王」の称号だった、と説明しています。未来の話ではなく、現職の話だったわけです。そして、個人としてのメシアを待つ考えがユダヤ教徒のあいだで広く共有されるようになるのは、ハスモン朝(マカバイ家の王朝)が倒れたあと、紀元前1世紀ごろだと同書は述べています。時間の向きが、現在から未来へ入れ替わったことになります。

ギリシア語に訳されると christos になります。動詞 chrio(油を塗る)から作った、mashiach の直訳です。おもしろいのは、新約聖書自身がこの訳し替えを明記していること。ヨハネによる福音書1章41節は「わたしたちはメシアに出会った」と言ったあとに、わざわざ「これは、訳せばキリストという意味である」と注を付けています。当時の読者にとって、メシアはまだ説明が要る外来語だったのです。そして称号だった christos は、やがて「イエス・キリスト」という名前の一部のように使われていきます。

意味の変遷

  1. 古代イスラエル 王や大祭司の就任の儀礼を指す語。頭に油を注がれた人を mashiach と呼んだ。非難も称賛も含まない
  2. 紀元前6世紀ごろ イザヤ書45章1節が、ペルシアの王キュロスを「主が油を注いだ者」と呼ぶ。イスラエルの民でない王にも使われている
  3. 紀元前1世紀ごろ ハスモン朝の崩壊後、個人としてのメシアを待望する考えが広く共有されるようになった、と『ユダヤ百科事典』は説明する
  4. 1世紀 ギリシア語訳 christos が定着。ヨハネによる福音書はこの語に「訳せばキリスト」と注を付けている。やがて称号が名前のように使われはじめる
  5. 14〜17世紀ごろ 英語に Messias の形で入り、のちに今の綴りへ。17世紀の後半には、宗教の外で「囚われた人々を解放する待望の人物」を指す転用も現れる

今の使われ方

  • 「経営再建のメシア」「チームのメシア」

    窮地を一人でひっくり返してくれる、突出した個人

    ズレ 原語には能力の話が入っていません。入っているのは「油を注がれた」という受け身の事実だけ。もとは注ぐ側が主語で、注がれる人は選ばれた側でした

  • 「メシア待望論」

    強い指導者が現れて一気に解決してくれる、という期待

    ズレ 「これから来る」という時間の向きは、紀元前1世紀ごろに加わった後発の要素です。最も古い用法は、今そこにいる王を指す称号でした

  • 「メシア=救世主」という言い換え

    世を救う人

    ズレ 原語に「救う」という語は入っていません。語根にあるのは「油を塗る」だけ。救済の意味は、語そのものではなく、この語をめぐる期待のほうが持ち込んだものです

ここで理解が分かれる

教派による違い

  • ユダヤ教 ユダヤ教は、メシアを人間の王として説明してきました。ダビデ家の子孫で、まだ現れていない、という理解です。『ユダヤ百科事典』は、ユダヤ教がメシアの人間としての出自を強調し、ダビデの子孫であることを期待してきた、と述べています
  • カトリック カトリックは、ナザレのイエスがそのメシアだと説明してきました。ギリシア語訳の christos が称号のまま定着し、「イエス・キリスト」という呼び方になります。この同定そのものは、正教会・プロテスタントとも共通します
  • プロテスタント カルヴァンは、この称号を「職」の話として読み直しました。律法のもとで油を注がれたのは預言者・祭司・王の三者だから、「油を注がれた者」という称号はその三つの職を指す、という整理です(三職説)。原語の儀礼的な意味を、組み立て直した説明といえます
  • イスラーム クルアーンもイエスを al-masih(マシーフ=メシア)と呼びます。3章45節がその例です。ただしイスラームは、イエスを神ではなく預言者の一人として説明してきました。同じ称号を使いながら、称号の中身の理解が違うわけです

まとめ

  • 直訳は「油を注がれた者」。王や大祭司の就任の儀礼を指す語で、超人的な意味は含まれていなかった
  • イザヤ書45章1節はペルシアの王キュロスをこの語で呼ぶ。イスラエルの民でない王にも使えた語だった
  • 「これから来る救い主」という時間の向きは後から加わったもの。そこから先の理解は、ユダヤ教・キリスト教・イスラームで分かれる

出典

内容確認日: 2026-07-26