安息日 あんそくにち・あんそくじつ・あんそくび
日常語になった神学
原語
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ヘブライ語 שַׁבָּת
shabbat
やめること・手を止めること
動詞 shavat(やめる・中断する)から。「休んで元気になる」より「作業を止める」が芯にある
安息日の原語 shabbat は、「やめる」という動詞から来ています。休んで元気になることではなく、手を止めること。仕事を止める日が週に1回ある——この形が、のちの週休の土台になりました。
「休む」ではなく「やめる」
shabbat は、動詞 shavat(やめる・中断する)から来ています。芯にあるのは「手を止める」で、「元気を回復する」ではありません。だからこの日は、何をして過ごすかではなく、何をしないかで決まります。ごろごろしても、じっと座っていても、やめてさえいれば条件は満たされます。
理由の説明が、聖書のなかで2通りあるのが面白いところです。創世記2章2-3節では、神が6日で世界を作り、7日目に「やめた」。出エジプト記20章8-11節の十戒は、この創造の話を理由に置きます。ところが申命記5章12-15節の十戒では、理由が違う。エジプトで奴隷だったことを思い出せ、と言うのです。同じ戒めに、創造の記念と、解放の記念が並んでいます。誰が休むのかも条文に書いてあって、本人だけでは終わりません。息子、娘、男女の奴隷、家畜、そして寄留者。休みを「持てる人の特権」にしない書き方になっています。
意味の変遷
- 古代イスラエル 7日目に仕事を止める習慣。聖書のなかで、創造の記念と、奴隷からの解放の記念という2つの理由が語られる
- 2世紀末〜3世紀ごろ ミシュナ「シャバット」が、してはいけない仕事の型を39に整理する。後代の議論はここから枝を伸ばしていく
- 321年 ローマ皇帝コンスタンティヌスが、日曜を休みの日と定める。農作業は例外とされた
- 1926年 フォード社が週5日・40時間制を導入。土日を休みにする形が広がる足がかりになる
- 1992〜2002年 日本で完全週休二日制が広がる。国家公務員は1992年から、公立学校は2002年4月から毎週土曜が休みに
曜日も、中身も、伝統で違う
教派による違い
- ユダヤ教 金曜の日没から、土曜の日が暮れて夜になるまで。ミシュナ「シャバット」は、この日にしてはいけない仕事の型を39あげ、そこから細かい議論が積み上げられてきました。休みは各自が選ぶものではなく、戒めとして守るものだと説明されます
- カトリック 日曜(主日)。『カトリック教会のカテキズム』英語版2175番は、日曜は安息日とは別の日であり、キリスト教徒にとっては日曜の祝いが安息日の祝いに取って代わる、という趣旨を述べています
- プロテスタント 多くは日曜。改革派やピューリタンの流れでは、安息日の戒めを日曜にあてはめて厳しく守る型が生まれました。一方で、土曜を安息日として守り続けるプロテスタントの教派もあります
新約聖書には、この戒めの向きを言い直した一句があります。マルコによる福音書2章27節。安息日は人のために定められたのであって、人が安息日のためにあるのではない、という趣旨の言葉です。守り方をめぐる論争の場面で出てきます。ここも「安息日を守るな」ではなく「順序を間違えるな」という形をしています。
「週に1日は止める」という形は、やがて宗教の外へ出ます。321年のコンスタンティヌスの定めが、公権力がこれをやった早い例です。時代が飛んで1926年、フォード社が週5日・40時間制を導入します。ただし今の週休二日制が安息日から一直線に伸びたわけではありません。労働運動と経営判断が、何度も上書きしています。
よくある誤解
安息日とは、日曜日のことだ
ユダヤ教の安息日は、金曜の日没から土曜の日暮れまでです
shabbat が指したのは週の7日目でした。キリスト教で集まる日が日曜に移ったのは、復活が週の第1日の出来事とされたためだ、と説明されてきました。つまり日曜は「安息日を移した日」ではなく、別の理由で選ばれた日だという説明のしかたです。日本語の「安息日」は両方を指すので、混ざりやすい語になっています。
今の使われ方と、そのズレ
今の使われ方
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「日曜は安息日だから、何もしない」
のんびり過ごす日
ズレ 原語の芯は「仕事を止める」で、のんびりするかどうかまでは決めていません。何をするかではなく、何をしないかで区切る日でした
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「サバティカル(研究休暇)を取る」
大学教員などが取る長期の休暇
ズレ sabbatical は shabbat から来た語です。数年に一度まとめて休むという発想は、レビ記25章の「7年目に畑を休ませる」決まりと同じ形をしています
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「安息の地」
落ち着ける場所
ズレ 日本語では「安息」が「やすらぎ」の意味で独立しました。原語の「やめる」から見ると、だいぶ遠いところまで来ています
まとめ
- 直訳は「やめること」。何をするかではなく、何をしないかで決まる日
- 同じ戒めに理由が2つある。出エジプト記は創造、申命記はエジプトからの解放
- ユダヤ教は金曜の日没から土曜の日暮れまで、キリスト教の多くは日曜。曜日も、何をしないかも、伝統で違う