禁欲 きんよく
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 ἄσκησις
askesis
訓練・練習
askeo(訓練する・鍛える)+ -sis(〜すること)。まず指したのは、競技者が体を作ることと、職人が技を磨くこと
「禁欲」の原語 askesis は、「訓練」です。アスリートが体を作る、あの訓練。我慢して耐えることではなく、目的があって鍛えることを指しました。日本語の「禁欲」は欲を抑えることを指すので、重心がずれています。
もとはアスリートの言葉
askesis は、動詞 askeo(訓練する・鍛える)から作った名詞です。古代ギリシアでまず指したのは、競技者が体を作るために積む練習。職人が技を磨くことにも使いました。核にあるのは「目的があって、繰り返す」です。
ここが日本語の「禁欲」と一番ずれます。競技者は、苦しいことに耐えたから偉いのではありません。勝つために体を作っています。飲食を控えるのも、きつい練習を積むのも、全部が手段です。目的が抜けたら、ただの我慢比べになります。
この語の感覚は、新約聖書にも顔を出します。コリントの信徒への手紙一9章24-27節で、パウロは競技場のたとえを使います。走る人、賞を取る人、体を鍛える人。使徒言行録24章16節では、askeo という動詞そのものが出てきます。良心を保つために「訓練している」という言い方で、新約聖書ではこの1回だけの用例です。
意味の変遷
- 古代ギリシア 競技者の訓練、職人の修練。体と技を作ることが中心で、宗教の語ではない
- 古代の哲学のなかで 体だけでなく、意志や心を鍛えることへ意味が広がる
- 3世紀末〜4世紀初めごろ エジプトやシリアの砂漠で、キリスト教の修道生活が形になる。断食・独身・所有の放棄が askesis と呼ばれるようになる
- 20世紀初め ウェーバーが「世俗内禁欲」を論じる。修道院の中ではなく、日常の職業生活のなかで同じ厳しさを実行する型があった、という議論
- 現代 ミニマリズム、断食、SNS断ち。宗教の外で「減らして、何かを得る」型が広く使われている
修道院がしたこと
3世紀の終わりから4世紀の初めにかけて、エジプトやシリアの砂漠で、キリスト教の修道生活が形になっていきます。断食、独身、財産を持たないこと。この実践がまとめて askesis と呼ばれました。修道の伝統では、これらは目的ではなく手段だと説明されてきました。体を痛めつけること自体に値打ちがあるのではない、という説明のしかたです。
禁欲(我慢)
欲しいものを我慢して、耐える
つらさに耐えること自体に値打ちを置く見方。ゴールは「耐え切ること」で、耐えた時点で完了する
askesis(鍛錬)
目的があって、体と習慣を作り替える
つらさは副産物。ゴールは「できるようになること」。競技者の練習と同じ構造で、目的が先にある
ストイック
自分に厳しく、欲に流されない
こちらはストア派に由来する別系統の語。創始者がアテネの柱廊(ストア)で教えたことが学派の名になりました。askesis とは出自が違いますが、今の日本語ではほぼ同じ場面で使われます
よくある誤解
禁欲とは、欲を我慢することだ
原語 askesis は「訓練」。我慢は、その中の一手段でした
競技者が甘いものを断つのは、断つこと自体が偉いからではなく、体を作るためです。askesis もこの形をしています。「何のために」がセットで入っている語なので、そこが抜けると意味が変わります。日本語の「禁欲」は、断つ側だけを取り出した訳語になっています。
今の使われ方と、そのズレ
今の使われ方
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「禁欲生活を送る」
酒・甘いもの・娯楽などを断って暮らす
ズレ 「断つ」に重心があります。原語では「何のために鍛えるか」が先にあって、断つのはそのための手段でした
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「ストイックな人」
自分に厳しく、欲に流されない人。ほめ言葉として使う
ズレ askesis も否定的な語ではありませんでしたが、ほめられたのは「耐える強さ」ではなく「作り上げた技量」のほうでした。ほめる先が入れ替わっています
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「ミニマリスト」「デジタルデトックス」
持ち物や情報を減らして、集中や快適さを取り戻す試み
ズレ 「減らして、何かを得る」という形は askesis に近いつくりです。ただし得るものが、救いではなく生産性や心地よさに置き換わっています
まとめ
- 直訳は「訓練」。もとは競技者が体を作ること、職人が技を磨くこと
- 我慢は手段で、目的ではない。「何のために」がセットで入っている語だった
- 現代のミニマリズムと形は似ているが、系譜がつながっているかは別の話。橋渡し役のウェーバーの議論も決着していない