天職 てんしょく
日常語になった神学
原語
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ラテン語 vocatio
vocatio
呼ぶこと・呼び出し
vocare(呼ぶ)+ -tio(〜すること)
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古典ギリシア語 κλῆσις
klesis
呼ばれること・招き
kaleo(呼ぶ)から。ラテン語訳でこれが vocatio に置き換わった
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ドイツ語
Beruf
呼びかけ・呼び出されたこと
rufen(呼ぶ)から。ドイツ語ではこの一語が「職業」と「神からの召し」の両方を意味する
「天職」の下敷きにあるのは、ラテン語の vocatio、「呼ぶこと」です。呼ぶ側がいて、呼ばれる側がいる。もとは「向いている仕事」ではなく、「呼び出されて就くもの」でした。
呼ばれる、という受け身の語
vocatio は vocare(呼ぶ)から作った名詞で、ギリシア語の klesis(呼ばれること)をラテン語に移したものです。コリントの信徒への手紙一の7章20節は、召されたときの状態にとどまりなさい、という趣旨の一文。ここの「召し」が klesis で、ラテン語訳では vocatio になっています。中世のカトリックでは、この語はおもに修道生活や聖職への召しを指しました。つまり、呼ばれるのは一部の人だったのです。
ルターが一語にまとめ、ウェーバーがそこを衝いた
ルターは聖書をドイツ語に訳すとき、この系統の語に Beruf を当てました。Beruf は rufen(呼ぶ)から来た語ですが、同時に「職業」も意味します。結果として、ドイツ語では「神の呼び声」と「日々の仕事」が同じ一語になりました。ウェーバーは、この語が今の意味を持ったのはルターが訳したシラ書11章20〜21節の箇所からだ、と論じています。
ウェーバーが取り出したのは、次の逆説です。修道院にこもることが特別に宗教的なのではなく、パン屋がパンを焼くこともまた神に呼ばれた仕事だとすると、日々の労働そのものが宗教的な意味を帯びる。彼はここに、勤勉に働き続ける態度の源のひとつを見ました。『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-05年)の議論です。
意味の変遷
- 1世紀 パウロ書簡の klesis。神に呼ばれて信者になること。職業の話ではない
- 4世紀末以降 ラテン語訳で vocatio。中世を通じて、おもに修道生活・聖職への召しを指す語になる
- 16世紀前半 ルターがドイツ語訳で Beruf を用いる。「職業」と「召し」が一語になる
- 1904〜05年 ウェーバーがここを衝く。世俗の仕事が宗教的な意味を帯びたことの帰結を論じた
- 1964年 第2バチカン公会議『教会憲章』が、身分にかかわらずすべての信者が聖性へ招かれていると述べる
日本語の「天職」と、今の使われ方
日本語の「天職」は、もともとヨーロッパ語の訳語ではありません。辞書は漢籍(孟子)を出典に挙げていて、江戸期の用例では「天から命じられた務め」、とくに君主の務めを指しています。「生まれつきの性質に合った職業」という今の意味の用例が挙がるのは、明治期からです。ウェーバーの日本語訳でも、Beruf は文脈によって「天職」と訳されたり「職業」と訳されたりします。ドイツ語の一語を、日本語は一語で受けきれないのです。
今の使われ方
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これが私の天職だ
自分の性格や能力にぴったり合った仕事
ズレ 原義では、合っているかどうかは判定の基準ではありません。適性の話ではなかった
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天職を探す
自分に向いた仕事を探すこと
ズレ vocatio は探すものではなく、来るもの。探す対象になった時点で、主語が呼ぶ側から呼ばれる側へ入れ替わっています
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これは天職だと思ってやっている
使命感を持って就いている
ズレ 原義に一番近い使い方。ただし「誰に呼ばれたのか」は空欄のままです
よくある誤解
天職とは、自分にいちばん向いている仕事のことだ
この語の系統では、向き不向きは基準になっていませんでした
vocatio は「呼ばれること」で、動いているのは呼ぶ側です。ルターの説明でも、今いる場所がそのまま呼ばれた場所とされました。転職して探し当てるものではなく、すでにいる場所の読み替えだった、ということです。今の「天職探し」は、呼ばれる側が呼ぶ側の役をかねている状態だと言えます。
まとめ
- vocatio は「呼ぶこと」。呼ぶ側がいて成立する語で、適性の話ではなかった
- ルターのドイツ語訳で「職業」と「召し」が Beruf という一語になり、世俗の仕事が宗教的な意味を帯びた
- 日本語の「天職」は漢籍由来の別系統。「性質に合った職業」という意味は明治期からで、探すものになったのは新しい