カリスマ かりすま
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 χάρισμα
charisma
恵みとして与えられたもの
charis(恵み・好意)+ -ma(〜された結果できたもの)
「カリスマ美容師」の「カリスマ」は、もとは神学の言葉です。意味は「神からタダで配られた贈り物」。本人の持ち物ではない、というのが原義の肝です。
もとの意味は「配られたもの」
新約聖書のパウロ書簡では、信者ひとりひとりに聖霊が配った能力を指します。預言する力、他人の言葉を訳す力、病人を癒す力。
パウロが繰り返し念を押すのは「配ったのは神であって、あなたの実力ではない」という点です。だから優劣を競う対象にならない。教会という体の、手や足として働くための道具だ、という説明のしかたをします。
意味の変遷
- 1世紀 パウロ書簡で「聖霊の賜物」。個人の手柄ではなく、共同体に仕えるために配られたもの
- 1892年 教会法学者ルドルフ・ゾームが、初期教会の権威は制度ではなくカリスマに基づくと論じる
- 1910〜20年代 マックス・ウェーバーがゾームから借りて、支配の3類型のひとつ「カリスマ的支配」に転用。宗教の外へ出る
- 1990年代末 日本語で「カリスマ美容師」。個人の魅力を指す言葉として定着
今の使われ方と、そのズレ
今の使われ方
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カリスマ経営者
並外れた個人的魅力で人を引っぱるリーダー
ズレ 原義では、その力は本人の中身ではなく外から与えられたもの。持ち主が入れ替わっている
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あの人にはカリスマ性がある
生まれつき備わった資質
ズレ ウェーバーの定義でも、カリスマは本人の属性ではなく「支持者がそう認めたときだけ成立する関係」。認められなくなれば消える
よくある誤解
カリスマとは、生まれつきのすごい才能のことだ
原義でもウェーバーの用法でも、カリスマは本人の内側にあるものではありません
聖書では「神が配ったもの」、ウェーバーでは「他人が認めたもの」。どちらも所有できません。だから「カリスマを失う」という言い方は、比喩ではなく定義どおりの現象です。
まとめ
- もとの意味は「神からタダで配られた贈り物」。本人の実力ではない
- ウェーバーが宗教の外へ持ち出し、「支持者が認めることで成立する支配」の名前にした
- 今の日本語では「個人に備わった魅力」。所有できないはずのものが、所有物になった