熱狂 ねっきょう
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 ἐνθουσιασμός
enthousiasmos
神が内にいる状態
en(〜の中に)+ theos(神)→ entheos(神を内に宿した)。そこから enthousiazo(神に憑かれる)、その名詞形が enthousiasmos
英語の enthusiasm は、直訳すると「神が体の中に入っている」です。そして18世紀までは、ほめ言葉ではありませんでした。「あの人は enthusiasm だ」は、非難の言葉だったのです。
「神が中にいる」という悪口
語の作りは単純です。en(中に)+ theos(神)。合わせて「神を内側に宿している」。古代ギリシアでは、神託の場や祭りで、人が自分を失って神の言葉を語り出す状態を、この語で呼びました。ここまでは、良い悪いの評価が入っていません。
評価が付いたのは英語に入ってからです。17世紀半ば、内戦と宗教対立が続いたイングランドで、この語は非難語として使われるようになります。指す相手は、「自分は神から直接お告げを受けた」と主張する人たちでした。
何が問題にされたのか。「熱心すぎる」ではありません。教会の伝統も聖書も、複数の人が同じものを見て確かめられます。ところが、個人の内側に降りてきたという啓示は、外から確かめる手立てがない。批判の的はそこに集まりました。
ジョン・ロックは『人間知性論』の改訂で「Of Enthusiasm(熱狂について)」という章を足しています。理性を脇に置いて啓示だけを立てる態度を、彼はここで批判しました。ロックの言い方では、根拠のない思いつきを、意見と行動の土台にしてしまう、ということになります。デイヴィッド・ヒュームは1741年の論説『迷信と熱狂について』で、この語を宗教感情の一類型として分析の対象に置きました。
意味の変遷
- 古代ギリシア 神託や祭儀で、人が自分を失って神の言葉を語る状態。良い悪いの評価は語に含まれていない
- 17世紀半ばごろ 英語で非難語として定着。「神から直接お告げを受けた」と主張する人々を指す
- 1700年ごろ ロックが『人間知性論』の改訂で「熱狂について」の章を追加。確かめようのない根拠を立てる態度への批判
- 1741年 ヒュームが論説で、宗教感情の一類型として扱う。非難語としての用法がまだ生きている
- 18世紀の初めごろから 宗教の外で「強い興味・情熱」の意味が現れる。非難の用法としばらく並走した
反転がいつ起きたかは、特定できない
よくある誤解
enthusiasm は昔から「とても熱心なこと」を指す言葉だった
17〜18世紀の英語では、人を非難するための語でした
直訳は「神が内にいる」。神が自分の中にいると本人が言い張れば、外の誰にも検証できません。だから当時の批判は「熱心すぎる」ではなく「確かめようのない根拠を持ち出す」に向いていました。今の enthusiasm からは、この検証の問題がすっかり抜け落ちています。
今の使われ方と、そのズレ
英語での使われ方
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He is enthusiastic about the project.
乗り気だ・やる気がある。ごく普通のほめ言葉
ズレ 「神が内にいる」も、18世紀の非難の色も残っていません。今では熱量の程度も控えめで、「まあ前向き」くらいの場面でも使えます
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a car enthusiast(車好き・車のマニア)
何かに打ち込んでいる人
ズレ 18世紀には、同じ enthusiast が「神懸かりを主張する人」を指す非難語でした。語の形はそのままで、指す相手だけが入れ替わっています
日本語での使われ方
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「観客が熱狂した」
我を忘れるほど興奮した
ズレ 日本語の「熱狂」は、enthusiasm の語義変化とは別の歴史を持つ語です。訳語として対応させることはあっても、英語がたどった「非難語から中立語へ」という道筋を共有しているわけではありません
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enthusiasm を「熱意」「熱中」「熱狂」と訳し分ける
文脈に応じて日本語側で語を選ぶ
ズレ 英語では1語ですが、日本語では強さに応じて別の語になります
まとめ
- 直訳は「神が内にいる」。en(中に)+ theos(神)
- 17〜18世紀の英語では非難語。問題にされたのは熱量ではなく、外から確かめようのない根拠を立てることだった
- 褒め言葉への反転がいつ起きたかは特定されていない。18世紀を通じて、非難の用法と中立の用法が並走していた