洗礼 せんれい
日常語になった神学
原語
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古典ギリシア語 βάπτισμα
baptisma / baptizo
浸すこと。水に沈めること
bapto(浸す・浸して染める)+ -izo(〜する)で baptizo(浸す)。その名詞形が baptisma(浸すこと・浸された結果)。もとになった bapto は、布を染料に浸して染める動作も指した
「洗礼」は、もとは動作の名前です。原語 baptisma の直訳は「浸すこと」。人を水に沈めて、また引き上げる。その一回きりの出来事が、やがて「水と、決まった文言」という要件に整理されていきました。
もとは、水に沈める動作の名前
baptizo は「浸す」という動詞です。もとになった bapto は、布を染料に浸して染めることも指しました。その名詞形が baptisma、「浸すこと」。宗教の語である前に、染物屋でも通じる普通の動作の語だったわけです。日本語の「洗礼」は「洗う」の字を当てていますが、原語の芯にあるのは沈める動作のほうです。
新約聖書の書き方には、その動作がそのまま残っています。マルコによる福音書1章9-10節で、イエスはヨルダン川で洗礼を受け、「水から上がる」。使徒言行録8章38節では、フィリポと役人が「二人とも水の中に入り」ます。入って、出てくる。パウロはこれを「共に葬られた」と言い換えました(ローマの信徒への手紙6章3-4節)。沈めて、また上げる動作でなければ、この言い換えは成り立ちません。
例外規定から、制度が始まる
1世紀の終わりから2世紀の初めごろに書かれたとされる『十二使徒の教訓(ディダケー)』は、7章で洗礼の手順を指示しています。父と子と聖霊の名によって、生きた水——流れている水で授けよ。生きた水がなければ、他の水で。冷たい水がなければ、温かい水で。それもなければ、頭に三度水を注げ。授ける側も受ける側も、前もって断食せよ、とも書いてあります。
見てほしいのは、この順番です。原則が一つあり、その下に代替案が三段ぶら下がっている。川に行けないときはどうするのか、という現実の問いに、文書が先回りして答えを出しているのです。一回きりの出来事が、誰にでも同じ手順で施せるものへ変わっていく。その最初の段差が、最も古い時期の文書にもう見えています。そして西方では、注ぐ形と振りかける形が13世紀ごろに広まり、やがて主流になりました。東方の諸教会は浸す形を保っています。三度沈める作法はきわめて古く、使徒の時代にさかのぼるらしい——と1913年のカトリック百科事典は書きます。ただし同書は、三度沈めることを有効性の条件にはしていません。条件として残ったのは二つだけです。本物の水であること。「父と子と聖霊の名によって」と唱えること。この二つが満たされるなら、緊急のときには司祭でなくても、信者でない人が授けても有効だ——「アルメニア人への教令」を引いて、そう説明されています。
教派による違い
- カトリック カトリックは、幼児にも授けてきました。通常は水を注ぐ形です。有効性の条件を「本物の水」と決まった文言に絞り、緊急時には信者でない人が授けても有効だと整理してきました。誰が授けたかではなく、何がなされたかで決まる、という考え方です。
- 正教会 正教会は、三度沈める形を保ってきました。幼児にも授け、そのまま塗油と聖体の授与まで一続きに行います。西方のように「洗礼のあと、年長になってから確認する」という分け方をしません。
- プロテスタント ここで割れます。ルター派は1530年のアウクスブルク信仰告白第9条で幼児洗礼を保ち、これを認めない再洗礼派を名指しで斥けました。一方バプテスト系は、1833年のニューハンプシャー・バプテスト信仰告白第14条で、洗礼を「信じた者を水に沈めること」と定義しています。同じプロテスタントのなかで、対象も方法も違うわけです。
意味の変遷
- 古代ギリシア 一般語。「浸す」「浸して染める」。宗教専用の語ではない
- 1世紀 新約聖書。川で授けられ、「水から上がる」と書かれる。パウロは沈む動作を「共に葬られた」と読む
- 1世紀の終わりから2世紀の初めごろ 『十二使徒の教訓』が手順を文書化する。流れる水が原則、無理なら頭に三度注ぐ、という代替規定が付く
- 13世紀ごろ 西方で注ぐ形・振りかける形が広まり、やがて主流に。東方の諸教会は浸す形を保つ
- 16世紀以降 宗教改革のなかで、幼児に授けるか、信じた本人に授けるかが争点になる
英語圏での使われ方
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baptism of fire
初めての実戦。転じて、新人が最初に受ける厳しい試練
ズレ 19世紀の半ばごろ、フランス語の言い方を訳して広まった軍隊の言葉です。もともと教会の語としては、火による洗礼は殉教や聖霊の働きを指していました。それが戦場の初日の意味になっています
日本語での使われ方
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新入部員が特訓の洗礼を受ける
その集団に入るために避けて通れない、厳しい初体験をする
ズレ 国語辞典が第2の語義として載せている、定着した比喩です。原義の「一回きり」「これで所属が変わる」という形は残っています。落ちたのは、水と、宗教の枠組みのほう
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新思想の洗礼を受ける
強い影響を受けて、それまでと変わる
ズレ こちらは厳しさより「浸る」ほうに寄った使い方です。染料に浸せば色が変わって戻らない、という bapto の絵に、かえって近くなっています
よくある誤解
洗礼とは、水をかけて汚れを清めることだ
原語がまず指したのは、清めることではなく、水に沈める動作そのものです
清めの水浴びなら、古代の地中海世界にもユダヤ教にもありました。この語がそれと違うのは、沈めて上げる形に「死んで、生き直す」という読みが重ねられた点です。だからパウロは「共に葬られた」と書けました。日本語の「洗礼」は洗う面を取った訳語で、原語 baptizo には「洗う」の意味もあったので誤訳ではありません。ただ、沈める動作のほうは字から落ちています。
まとめ
- 直訳は「浸すこと」。布を染料に浸す動作と同じ語で、沈めて上げる形そのものが意味を担っていた
- 最も古い時期の文書に、すでに「流れる水がなければ頭に三度注げ」という代替規定がある。体験が手続きになる段差がそこに見える
- 幼児に授けるか、信じた本人に授けるか。方法を浸すか注ぐか。教派で分かれたまま今に至っている