回心・転向 かいしん・てんこう
日常語になった神学
原語
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ラテン語
conversio
向きを変えること
com-(すっかり)+ vertere(回す・向ける)。動詞は convertere
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古典ギリシア語 ἐπιστροφή
epistrophe
向き直ること。引き返すこと
「回心」と「転向」は、もとをたどれば同じ一語です。ラテン語の conversio、意味は「向きを変えること」。ヨーロッパでは一語のままだったものが、日本語では宗教の「回心」と政治の「転向」に割れました。
向きを変える、という一語
conversio は convertere(向きを変える)から作られた名詞です。com-(すっかり)と vertere(回す)。体の向きを変えることも、話の向きを変えることも指せる、ごく普通の語でした。この語が古代のキリスト教で、ギリシア語2語の訳を引き受けます。epistrophe(向き直る・引き返す)と metanoia(考えを変える)。前者は向きの変更に、後者は心の変更に重心があります。conversio は両方をまとめて背負いました。
語り方の型を決めたのはアウグスティヌスの『告白』第8巻です。ミラノの庭で「取って読め」という子どもの声を聞き、パウロの手紙を開く。回心を「ある一点で起きた出来事」として語る書き方が、ここで広く知られる形になりました。使徒言行録9章のパウロの経験(ダマスコへの道)と並んで、回心の代表例として繰り返し引かれます。
日本語で、二つに割れる
「回心(かいしん)」は明治期に作られた訳語です。植村正久ら日本のキリスト教徒が conversion の訳として使い始めたもので、仏教の「廻心(えしん)」を手がかりにしたと説明されます。読みも別で、仏教のほうは「えしん」。同じ字ですが、別の系統の言葉として並んでいます。
もう一方の「転向」は、1933年6月10日を境に一気に広まりました。治安維持法違反で服役中だった日本共産党幹部の佐野学と鍋山貞親が、市谷刑務所から連名で「共同被告同志に告ぐる書」を公表します。コミンテルンの指導下の運動は日本に合わない、という内容でした。この声明は獄中の党員や多くの活動家に衝撃を与え、大量の「転向」が続きます。
「転向」は同時に、行政の用語にもなりました。1936年の思想犯保護観察法(昭和11年法律第29号)は、治安維持法違反で執行猶予・起訴猶予・仮釈放になった人などを保護観察の対象とし、全国22か所に置かれた保護観察所に委ねます。心の向きが、手続きの中の判定項目になったということです。この法は1945年に廃止されました。
意味の変遷
- 古代教会 ラテン語 conversio が、ギリシア語の epistrophe と metanoia の両方の訳語になる。「向きを変える」が救いを語る基本の比喩に
- 4世紀末 アウグスティヌス『告白』第8巻。回心を一点の出来事として語る型が広まる
- 明治期 植村正久らが conversion の訳語として「回心(かいしん)」を用いはじめる
- 1933年 佐野学・鍋山貞親の「共同被告同志に告ぐる書」。「転向」が特定の歴史的経験を指す語になる
- 1936年 思想犯保護観察法。「転向」が行政手続きの中の判定項目になる
今の使われ方
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彼は途中で転向した
それまでの主義や立場を捨てて別の立場に移ること。多くの場合、非難や自嘲の色が付く
ズレ conversio 自体に良し悪しの含みはない。ただ向きが変わることを言う語だった。後ろめたさは、1930年代の日本での使われ方が付けたもの
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文系から理系に転向する
進路や専門を変えること。ここでは価値判断はほとんど乗らない
ズレ こちらは語源どおりの「向きを変える」に近い。同じ語が、場面によって重くも軽くもなる
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回心して洗礼を受けた
信仰に入る、あるいは信仰が根本から変わる個人の経験
ズレ 明治期の造語。ヨーロッパでは conversion 一語で足りたものが、日本語では宗教と政治で別の語に分かれた
よくある誤解
「回心」と「改宗」は同じことだ
重なることは多いのですが、指しているものが違います
改宗は所属の変更です。どの宗教・どの教派に属するか。回心は向きの変更で、何に向かって生きるかのほう。同じ宗教にとどまったまま回心を語ることもあれば、事情で所属だけを変えることもあります。ラテン語 conversio が指したのは、所属ではなく向きのほうでした。
まとめ
- もとの意味は「向きを変えること」。ラテン語 conversio は、ギリシア語の「向き直る」と「考えを変える」の両方を訳す語だった
- 日本語では二つに割れた。宗教の「回心」は明治期の訳語、政治の「転向」は1930年代に重い意味を背負う
- 1933年の佐野・鍋山声明と1936年の思想犯保護観察法によって、「転向」は個人の心の向きであると同時に、手続き上の判定項目にもなった