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ジハード じはーど

日常語になった神学

原語

  • アラビア語 جهاد

    jihad

    力を尽くすこと。努力・奮闘

    語根 j-h-d(動詞 jahada=力を尽くす・専心する)から。同じ語根から ijtihad(イジュティハード=法の解釈に知力を尽くすこと)も作られている。語根が指しているのは「何と戦うか」ではなく「どれだけ力を入れるか」のほう

ジハードの直訳は「力を尽くすこと」です。努力・奮闘という意味で、語そのものには「戦争」も「聖」も入っていません。何に向かって力を尽くすのかは、語の外側で決まります。

語根が言っているのは「力の入れ方」だけ

jihad は、語根 j-h-d から作られた名詞です。動詞 jahada は「力を尽くす」「専心する」。だから直訳は「力を尽くすこと」、日本語なら「努力」「奮闘」にあたります。ここで注目したいのは、語根が対象を含んでいないことです。誰と、何のために、どんな手段で——それは語の外側で決まります。

同じ語根から作られた語に、ijtihad(イジュティハード)があります。こちらは法の解釈に知力を尽くすこと。机に向かって考え抜く作業です。同じ「力を尽くす」から、戦いの語も学問の語も出ている。語根が指しているのが力の入れ方であって、対象ではないことが、ここからも見えます。

クルアーンでの使われ方にも幅があります。22章78節は「ふさわしい仕方で神のために力を尽くせ」。25章52節は、不信仰者に譲らず「このクルアーンによって大いに努めよ」——手段として挙がっているのは武器ではなく啓典です。一方、9章41節は「財産と生命をもって神の道に努めよ」で、こちらは出征の文脈で読まれてきました。同じ語根が、この幅をまたいでいます。片方だけを見せるのは、どちらの方向でも正確ではありません。

大ジハードと小ジハード

大ジハード(al-jihad al-akbar)

自分自身に向かう闘い

欲望や怠りといった、自分の内側との格闘を指します。こちらを「大きい」と呼ぶのが、この区別の要点です

小ジハード(al-jihad al-asghar)

外に向かう戦い

武力を伴う戦いを指します。この区別では、こちらが「小さい」ほうに置かれます

ペンや舌によるジハード

言葉による努力

書くこと・語ることによる努力も、この語のもとに数えられてきました。手段は武力に限られません

古典的な法学は、この語を別の角度から整理しました。ジハードは共同体全体として果たす務め(fard kifaya)であって、信徒一人ひとりに常にかかる義務(fard ayn)ではない、という分類です。誰かが担えば共同体としては果たされたことになる。個人の義務に変わるのは、突然の攻撃を受けた場合に限る、と説明されました。つまり法学の側では、この語は制度と手続きの問題として扱われてきたわけです。

「聖戦」という訳のズレ

日本語では「聖戦」と訳されることがあります。これは英語 holy war の訳語にあたりますが、原語との距離は大きい。jihad の語根に「戦」も「聖」も入っていないからです。入っているのは「力を尽くす」だけでした。英語でも事情は似ていて、この語が英語に入った19世紀半ばごろ、当初は「不信仰者に対する宗教戦争の義務」という限定された意味で使われました。訳語のほうが、原語より意味を狭く固めたわけです。ところがその後、英語の jihad は19世紀の終わりごろから、宗教と関係のない「あらゆる主義主張のための猛烈な運動」にも使われるようになります。同じころ、英語の crusade も「撲滅運動」の意味で日常語になりました。互いの戦いを指した語が、どちらも「熱心な運動」の比喩に落ち着いたわけです。

意味の変遷

  1. 7世紀 クルアーンの中で、語根 j-h-d は幅を持って使われる。クルアーンによって努めよという句も、財産と生命をもって出征せよという句も、同じ語根
  2. 古典法学が形づくられた時代 法学書がジハードを、共同体全体で果たす務め(fard kifaya)として整理する。個人の義務になるのは突然攻撃を受けた場合に限る、と説明された
  3. 11世紀ごろ 大ジハードと小ジハードの区別を伝える話が、当時の歴史書に引かれる形で残る。ただし権威あるハディース集には収められていない
  4. 19世紀の半ばごろ 英語に jihad が入る。当初は「不信仰者に対する宗教戦争の義務」という限定された意味だった
  5. 19世紀の終わりごろ 英語で、宗教と関係のない「主義主張のための猛烈な運動」にも使われるようになる

今の使われ方

  • a jihad against waste(無駄をなくす猛烈な運動)

    何かを撲滅しようとする、熱のこもった運動

    ズレ 19世紀の終わりごろから英語にある転用です。原語には対象も手段も含まれていないので、比喩として広げやすい語ではありました。英語の crusade がたどった道筋とそっくりです

  • 「ジハード=聖戦」という訳

    宗教のための戦争

    ズレ 原語に「戦」も「聖」も入っていません。語根が言っているのは「力を尽くす」だけ。訳語のほうが、意味を一つに絞ってしまった例です

  • 報道で見るカタカナの「ジハード」

    武力による戦いを指す語として受け取られている

    ズレ この語が持つ幅のうち、一つの用法だけが日本語に入りました。語根そのものが指しているのは「力を尽くすこと」で、対象も手段も含まれていません

まとめ

  • 直訳は「力を尽くすこと」。努力・奮闘の語で、対象も手段も語には含まれていない。同じ語根から ijtihad(法解釈に知力を尽くすこと)も出ている
  • クルアーンの中に、啓典によって努めよという用例と、財産と生命をもって出征せよという用例が両方ある。大ジハード・小ジハードの区別は広く引かれるが、根拠の伝承は権威あるハディース集にはなく、真正性が定まっていない
  • 「聖戦」は holy war の訳語で、原語に「戦」も「聖」もない。英語では19世紀の終わりごろから、crusade と同じく「熱心な撲滅運動」の比喩にもなった

出典

内容確認日: 2026-07-26